2018年03月10日

ルドルフ・シュタイナーの「4つの気質」という考え方

 2002年6月号

 先日、オーストリアの哲学者、科学者で、宇宙への霊的洞察に基づく「霊学」という思想を打ち立てたルドルフ・シュタイナーの理論に基づく、言語造形の講座に参加してきました。
私はシュタイナー教育は専門ではありませんが、ハンガリーの幼児教育と似ているように感じられるところがあること、また、言葉の延長としてのわらべうたを歌うときに、役立つことがあるのではと、参加をしてみました。

 講座の題は、「わたしはどんな人?ことばと身ぶり」というもので、ひとつの課題を、ひとりひとり演じるものでした。ひとりひとりの、演じ方、立ち方、手の動かし方、声の調子などは、大きく4つのグループに分かれ、そのグループは、シュタイナーが論じた、「4つの気質」(憂鬱質、多血質、粘液質、胆汁質)の特徴と結び付いていることがはっきり分かり、とても驚きました。

 「4つの気質」というのは、シュタイナーが、人間の個性は、どんな型にも納まらない複雑なものとしながらも、人間の個性を理解するために、また、子供たちを理解し自我の発達を促すために、考え出したものです。
それぞれ、共通した心理的、身体的特徴から、グループ分けしています。
そして、子供の気質を考え、それぞれに合った接し方、教育の仕方を考えることが大切といいました。
シュタイナーの「霊学」という深い理論の理解がないまま、「4つの気質」だけを取り上げることは、あまり望ましいことではありませんが、子育ての中でよく聴かれる「ひとりひとりの個性を大事にして育てることが大切」と言う言葉を、具体的に考えるのに、この理論は大きく役立つように思えましたので、ここで紹介してみました。

 4つの気質のそれぞれの特徴や、気質に合った接し方については、ここには書ききれないので、それらが詳しく書かれた本を、自由遊びの時間にご紹介したいと考えています。
ご興味のある方は、ご覧ください。
  
:補筆:気質について書かれた本はたくさんありますが、私の手元にあるのは、東京の南沢シュタイナー園で、ライヤーの講座に参加した時に購入した「思春期の危機をのりこえる」(ベティ・ステイリー著 高橋明男訳 小学館)という本です。
また、言語造型家の恵矢さんの講座では、子安美知子著の「ミュンヘンの中学生」の「気質と文体」の章をテキストにしました。
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2018年03月09日

ベビーサインとわらべうた

  2002年12月号

 今テレビや雑誌で話題になっている、「ベビーサイン」というものがあります。
「話し始める前の赤ちゃんと話すための方法」で、物や伝えたいことを言葉で現せない時期に、身振りでそれを表現し合ってコミュニケーションをとるというものです。
アメリカで研究、実践され、本や保育現場でも紹介されています。
日本でも、それらの本が訳されたり、また日本人の研究家が本を出したりして紹介されています。リンダ・アクレドロさんの書いた「ベービーサイン」という本は、千葉市、船橋市、習志野市、市川市のすべての図書館で貸し出し中、8件の予約待ちという館もあるほど、関心を持たれているようです。

 ベビーサインは、赤ちゃんが何か言いたそうにしている時の身振りを大人が見つけ出して、それを言葉として使っていくものと、大人がサイン(身振り)を赤ちゃんに教えていくものの2通りがあるようです。
そして、ベービーサインでスムーズにコミュニケーションすることができれば、毎日の生活がより豊かで楽しいものになるといい、さらに、言葉の習得が早まる、さらには右脳の活性化になると書かれている本まであります。

 「話がまだできない赤ちゃんとコミュニケーションをとる」と言うことを聞くと思い出すのが、阿部ヤヱさんの遠野に伝わるわらべうたの語り伝えです。
(前にも書きましたが、遠野が特別と言うことではなく、昔はどの地方にも同じようなものがあり、たまたま遠野では今でも語り継がれているということです。)

 遠野では、恥ずかしいということを、両手で顔を隠し、顔を軽くたたいて「ちょつ ちょつ ちょつ」といいます。また、「とてもおいしい」ことを、「頭が鳴るようだ」というそうで、それを、「頭」で手を頭に持っていき、「なり なり なり」と頭を3回なでながら言うそうです。このようにして気持ちを伝え合ったそうです。

 また、動物や植物に対しては、泣き声に似た声で呼びかけることで、その物を知っていきました。例えば、いぬは「わんわんわん」、あひるは、おしりをふりながら「があがあがあ」。
では、それらを「ベビーサイン」ではどう現すのでしょうか。
いぬは「舌を出してはあはあと息をする」、あひるは「親指と残りの指をくっつけたり離したりする」と紹介しています。(一例との添え書きがあります。)みなさんは、この2つを比べてどんなことを感じますか。

 昔の人たちは、学問としてではなく、人間の生きる智恵として、ベビーサインを使っていたようです。
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自律心を育てる

2001年9月号

 今回は自律心についてお話します。
自律とは「自分で自分の行動を規制すること。
外部からの制御から脱して自身の立てた規範に従って行動すること」と辞書には書かれています。
つまり、自己コントロールの力といえます。
今、「切れる」(良くない言葉と思いますが・・)と言う言葉を良く耳にしますが、つまり、自分で自分をコントロールできないといということが問題になっています。

 では、自律心はどのように育つのでしょう。
人との関わりをたくさん持って育っていく中で、自分をおさえ、人に沿うことを覚えていくことで育っていくことができるという考え方があります。
しかし、もっと根本的なところで育つものではないだろうかと感じています。
それは、「決まった時間の流れで生活する」ということです。起きる時間、食事の時間、睡眠の時間などを一定の時間ですること。
つまり、これは、生きることをひとつの枠で行うことになり、生きることを制限されている、節制されていることになります。
決まった時間の流れの中で、生活することで、無意識の部分での自己コントロールができるようになっていくのです。
そしてこれは、乳児期から行われなければならないことなのではないかと私は感じています。
posted by 母と子のためのスペース”穂” at 23:20| 子育てのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

バロック式リコーダーとドイツ式リコーダー

 2005年5月号

 ここ「母と子のためのスペース『穂』」では、「うたとリコーダーの会」があります。
今月はリコーダーについて書きたいと思います。

 リコーダーの歴史はとても古いのですが、ルネサンスやバロック時代に、舞曲の伴奏や、器楽曲のひとつの楽器として演奏されていました。
しかし、18世紀後半以降、他の大きな音が出る楽器の誕生により、芸術音楽からはいったん姿を消しました。

 19世紀末、リコーダーの復興が起き、欧米各地に広まりました。
そしてリコーダーのための曲もたくさん作られました。

 特にドイツでは、若者達や初等教育ヘの普及が進められました。
その時に、昔からのリコーダーの指使いでは「F(ファ)」の音が難しいということから、6番目の穴を小さくして簡単な指使いでも吹けるように調整しました。これが「ドイツ(ジャーマン)式運指」です。
私達が小学校で購入したリコーダーがこの「ドイツ式運指」のリコーダーで、「ドイツ式運指」で曲を吹いてきました。
なるほど、A(ラ)G(ソ)F(ファ)と音が下がるにつれて穴を順番に閉じていけばいいので確かに楽です。
しかし、新たな問題が出てきました。穴を順番に閉じてF(ファ)の音がでるようにするために6番目の穴を小さくしてしまったために、シャープなどがついている音を出す時、また別な部分を調整しなくてはならなくなってしまいました。
そのため指使いがとても複雑にならざるを得なくなってしまったのです。

 昨年度のグレード6のクラスには、2人の6年生の男の子が参加していましたが、ひとりは学校で買ったドイツ式のリコーダー、もうひとりは昔からの指使いのバロック式(イギリス式)のリコーダーを使っていました。
バロック式の子は、始めたばかりの頃、Fの音がなかなか出ず苦労はしていましたが、少しずつフラットやシャープなどがでてくる曲を吹くようになって,今度はドイツ式の子がとても複雑な指使いに四苦八苦していました。
また、小学校で使うのはソプラノリコーダーですが、様々な音域が出る別なリコーダーを吹くとき、それらのリコーダーはドイツ式のものはほとんどありませんので、長い目でみると、ただ1音のために調整されたドイツ式よりも、様々な音に容易に対応できる様に作られている伝統的指穴配置のバロック式の方が、幅広く楽しめるということのようです。
 
 今はプラスティック製で手軽に手に入る楽器ですが、その魅力はたくさんあります。
音が容易にでる、息の入れ方で音色が変わる、そにためには良く耳を澄まさなければならない、大きな音ではないのでお互いを聴きやすいなどです。
そして様々な音域のリコーダで合奏した時に、音と音の重なり合いがとても美しく響きます。
そのような事を大事にして子供たちと一緒に簡単な曲から演奏し楽しんでいます。

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2018年03月07日

幼児期の生活で大切な事

 2004年9月号

  9月19日に、わらべ唄保育研究会主催のわらべうた講座に参加してきました。

 講座の中で、「今、子どもの早期教育として、知的な事を幼児期に始めることが多く行なわれているけれども幼児期の生活で大切なことは何だろうか」、という事が話題になり、それは、健康な体や生活のリズム造り、食事や排泄,衣服の着脱などの習慣を身につける事ではないだろうか、という話になりました。  
健康な体造りには、毎日を同じリズムで過ごし、新鮮な食材の料理を食べ、体を動かし、睡眠をたくさん取る、ということが大事なのではないか、また、日常の生活習慣は、言葉で教えるのではなく、大人が手本となるように実際にして見せ、真似する環境を作る事で、自然に身に付いていくのではないだろうか、ということも挙げられました。
また、それらを毎日繰り返すことが、自分を律する力を育てることにもなるのではないか、ということも出ました。

 生命の営みがしっかりとできるようになった土台の上に、知的な事が広げられることで、知的なこともしっかりと吸収されるのではないでしょうか。

 そのようなことが出来難い時代になっていますが、無理無く、それらのことをちょっと意識してみることで、子供の健康な体と心が育つのかもしれません。
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2018年03月05日

新しい刺激を与えて導く子育てと、熟する時を待つ子育て 

 2003年7月号
                  
 子育てには、様々な考え方があります。
今回は、2つの子育てに対する考え方を取り上げてみたいと思います。
「新しい刺激を与えて導く」子育てと、「熟するのを待つ」子育てです。  

  「新しい刺激を与えて導く」子育てというのは、そろそろこんなことができるようになるということをわかった上で、子どもの月齢や年齢にそって、大人がそれを示したり、手助けをして、その事ができるように促すことです。
例えば、遠野の阿部ヤヱさんが語り継いでいるわらべうた遊びの中に、生まれて1、2ヶ月頃からする遊び、「にぎにぎにぎ」というものがあります。
これは、大人が赤ちゃんに、手を握っている所ところを「にぎにぎにぎ」と唱えながら見せて遊ばせる遊びです。赤ちゃんはそれを見ているうちに、それを真似て手を握り始めます。
人は、赤ちゃんに限らず大人になってからも、いろいろな事を真似る事で、能力を獲得し高めていきます。
ですから生まれて間も無くにするこの遊びは、 大人が赤ちゃんの視覚と聴覚に刺激を与えることで、赤ちゃんはそれを真似ようとし、それを何度かしているうちに、指が動き、握るという動作ができるようになるというものです。
また、掴まり立ちができたこどもの手を取り、歩くことを促すということもあります。
これらの刺激を与えるのは、家族や、保育士であったりしますので、子どもと大人の心のやり取りもできます。 

 一方、「熟するのを待つ」子育てとは、赤ちゃんの体は、自然と発達していくのだから、大人がそれを補助したり準備したりするのではなく、赤ちゃんが自分の力でできるようになる時期を待つ、というものです。
これは、精神的な自立とも深く関わっているとも言われています。
このお話は、東京にある、南沢シュタイナー子ども園で、人形劇を演じられている吉良順子さんがなさっていました。

 私は、このどちらかが正しいということは、ないと思います。
自分は今どんな思いで子育てをしているだろうか、ということを考えるひとつのみちしるべにしていただけたらと、今回ここで紹介させていただきました。
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2018年03月04日

わらべうたと男の子

 2000年11月号

 男の子をお持ちのお母さん、「遊びに加わっているのかしら」と思われる場面を持つことがありませんか?輪の中に入らずに、端の方で好きなことをしていたり、おひざに乗らずに走りまわったり…
どこのグループにも見られることです。
しかし、家に帰ると、口ずさんでいたり、あの遊びをしてとせがんだりもしていませんか?子供達はちゃんと耳では聴いているのでしょう。
そして、体全部を通して遊んでいるのです。

 わらべうたの会に参加している、数人の男の子のお母さんは「こんなに走りまわったり、自分の好きなことをしてばかりいるのなら行っていないのと同じだからやめようか、と思い、子供に聞くと、わらべうたはぜったいやめない、というのです。
遊んでいないようですが、子供自身心地よさを感じているのでしょうね。」と話されています。
2歳から始め、今、年長さんになっています。
また、小学4,5年生のクラスでは、聞き伝えで見学をしに来る子供達が、みんな続けて通うようになりました。
「ここには、自分らしくいられる空気があり、人と関わる楽しさがあると感じているようです。」とお母さん方は話しています。

 子供達が遊びから離れ、自由に遊んでいるとき、年齢にもよりますが、人がいやがるようなことをする以外は、私は注意したりしません。
しかし、お母さんにとってはいろいろな思いが湧いてくることと思います。
その時、子供の表面的なことだけに目をやらず、お子さんが体で感じていることを同じ場所でお母さんも感じていようとすることが大切だと思います。
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2018年03月03日

鬼ごっこについて

 2001年2月号
 
私のわらべうた遊びの会では、小学生との混合クラスでなく、同じ年齢の子供達でのクラス編成の時は、5歳の後半頃から鬼ごっこ遊びを始めます。
その前にすると遊びとしてなりたたなくなることがあるからです。
たとえば、追いかけられることや捕まえられることの恐怖を強く感じて泣き出してしまったり、鬼になった子供がその特別な役どころにずっといたいということから、なかなか次の鬼を捕まえずに走り続けたり、逆に鬼になりたいために、わざと鬼に向って走ったり、また、仲良し同士で捕まえ合うために同じ子供がいつも鬼になる、などです。

 阿部ヤヱさんは、「人を育てる唄」という本で、鬼ごっこについてこう書いています。
「鬼をひとりでするということは、孤独な立場におかれることです。こうした鬼を交代するには、みんなにはやしたてられながら、歯を食いしばって鬼から抜け出す努力をするしかないのです。」「息苦しいし、鬼などやめたくなりますが、やめればのけものにされる、みじめになるので、頑張ったのでした。」「やがて努力のかい合って交代できた時の解放感はなんともいえないものです。」「この頃目立ちたいからと鬼になりたがる子がたくさんいますが、この鬼の怖さを教えられていないからでしょう。」 

 こうした、子供の世界のシリアスな場面から子供は頑張る力、生きる力を育てていくように思います。
しかしそれは冷酷なものではなく、仲良しの友達ですから、信頼と安心感の中で行われていきます。
そのなかで、子供達は、人との関わりを学んでいったのでしょう。
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