2017年06月10日

グローバルな時代だからこそ子どもに親しんで欲しい日本のわらべうた

2017年5月号

今月の歳時記と繋がってのお話になりますが、先日FMラジオで、ルー・ハリソン(1918~2003年ポーランド)という作曲家の「般若心経(La Koro Sutro)」という曲を放送していました。

合唱は良く聞く西洋発声の混声合唱ですが、同じメロディーをみんなで合わせて歌っていました。
伴奏はインドネシアの民族楽器です。
歌詞は、仏教の最も有名なお経「般若心経」。
しかしそれをエスペラント語で歌っていました。

エスペラント語というのは、世界の力を持った国の言語を共通語とするのではなく、新しい言語を作り出しそれを共通言語とするべき、という思想から生まれた言語です。
(船橋でも船橋東部公民館を会場に千葉エスペラント会が活動しています)

ルー・ハリソンは、合唱形態発声法、インドネシアの楽器、仏教という東洋の思想を合体させ世界の様々な文化思想をお互い認め合い尊重し合い柔軟に混合させた曲を作曲したのでした。

この他にも、ヴァイオリンとガムラン、管弦楽による曲、ガムランとピアノの曲、日本の三味線によるイタリア風の曲なども作曲しました。
その根底には、ポーランドという多くの国に支配されてきた歴史のある国の出身ということがあるかもしれません。

わらべうたも民族独自の音楽です。
まずメロディーが日本人独自のものです。

日本の音楽の音階を調べると日本の文化の歴史の一部が見えてきます。

●民謡音階=わらべうたや民謡の音階 
●律音階=わらべうたや子守唄にも見られますが、もともとは中国の文化を取り入れた奈良平安時代に伝わった宮中音楽(雅楽)の音階
●都節音階=戦国時代後半に沖縄から伝わった三線(さんしん)という楽器を改良してできた三味線の音階。わらべうたや民謡にも使われるようになりました。
●沖縄音階=沖縄の音楽の音階。沖縄は、昔琉球王国という大和(日本)とは異なる統治制度でしたので、異なる文化、言語がありました。それを江戸時代が始まって間もなく薩摩藩に侵攻され支配下おかれながらも、独自の文化を守ってきました。
●アイヌの音階=ここはまだ研究がまとまっていません。

このように日本が隣国から取り入れてきた文化が音楽にも影響を与えていることが良く分かります。

現代私たちが最も多く耳にしているのは、西洋の音楽文化(奴隷制度により取り込まれたアフリカの音楽要素を含んだものも含む)です。

これだけではなく、日本人としての音楽文化も持ち続けなくてはとも思います。

大分前ですが、「和風総本家」という番組の企画で、アフリカの放送局に独自の視点で番組を作ってもらうというものがあり、そこで使われていたBGMのひとつが、尺八で演奏されている「江戸子守唄」でした。
日本の音楽のイメージがこれなのかと、驚き嬉しく思いました。

子ども達が、世界に出て何か日本の歌を歌って欲しいと言われた時、お母さんの膝で遊んでもらったっ時の歌だといってわらべうたを、また代表的な子守唄だと(子守唄は世界中どこにでもあります)江戸子守唄を歌って聞かせてあげられたらどんなに素敵なことでしょう。
posted by 母と子のためのスペース”穂” at 16:00| わらべうたを深く知る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジェンダー・フリーについて

2017年4月号
「女らしく」。
つまりは、「物腰をやわらかく」「優しい言葉使い」「思いやり」「お化粧をして」「子供を育てる母性を持って」などいうことでしょうか。

「女らしく」について、いろいろ言われるようになって大分経ちますが、「男らしく」という言葉についても最近ようやくいわれるようになりました。
つまりは「たくましく」「行動的」「か弱きものを守る」などのことでしょうか。

朝日新聞に、その特集が組んであり、そういわれて不自由を抱えている男性からの投稿を集めて紹介していました。

私の夫が、先月から発売されている、放送35周年記念「北の国から」DVDマガジンを買ってきて観ているのですが、その中に、

冬に向う北海道の地であばら家の2階に寝ている子ども2人と女性1人。
その中の唯一の男性、10歳ぐらいの男の子が、
「おとうさん寒くてしかたありません。どうにかしてください」
というのに対しお父さんは
「2階で寝ている男は君しかいません。男だったらどうにしかしなさい。おちんちんついているのをおとうさん知っていますよ
」と答えます。
このお父さんはこの山奥のあばらやで生活できるよう、身体を張って物を作っているので、自分自身もそのようにしているわけです。

もし現在この番組が放送されたら、そのようなジェンダーについて気にする人は、
「なぜ男、ということでそのようなプレッシャーを与えるのか」
と話題にしたかもしれません。

35年前といったらみなさんはおいくつでしたでしょう。
まだ生まれていない方もいらっしゃるでしょうか。

この作品の脚本は、80歳を過ぎた今話題の倉本聰氏です。
戦前生まれ、小学生の頃に終戦を迎えた方です。
この作品を書いていた頃は40歳半ば。
35年前はこれをジェンダーの問題と取り上げる事もなく、「女らしさ」「男らしさ」という価値観がありました。

現在は、女性も仕事で活躍を、男性も育休を取って子育てをすることを、社会全体が進めています。
ジェンダー・フリー=従来の固定的な性別による役割分担にとらわれず、男女が平等に、自らの能力を生かして自由に行動・生活できること=の実現に社会が動いています。

しかし、遺伝子的、生物学的には、確実な違いがあることも、確かなことです。

前にも書きましたが、女性は出産するとホルモンの分泌により身体も変わり、脳まで男性とは異なる。

遺伝子もYX,とXX。Yの遺伝性は確実にXとは異なる。
だから性差が生まれる。
それは確かなことだけれども、それにとらわれて、強制し不自由を与えてはいけない、というのがジェダー・フリーということなのでしょう。

性別とは何か。
日本女子大では、入学者の限定をどのようにするのか=性同一性障がいの入学を認めるのか=という踏み込んだ検討を始めたそうです。

GLBT(性別越境者)の問題も含め、今私たちが新たな価値感を持って生活していく時代になりました。
posted by 母と子のためのスペース”穂” at 15:51| 女性を生きる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする