被災地、新地町に起きた不思議な出来事 ー子どもの頃父親に聞いた話ー

2011年3月11日に発生した東日本大震災。
多くの方の生活に大きな被害を及ぼし、未だに避難生活をしている方が多くいること。
心が痛みます。

私も私の旦那さんも東北出身。
ニュースで耳にする地名はほぼ知っていて、またそこに行ったことはなくともなにかしらの縁があったり、どのような土地柄か分かるところばかりです。

私は福島県出身なので、あの土地が放射能に汚染された土地となり、元のように戻るには長い時間がかかるのだろうと思うとなんとも言えない気持ちになります。

今回は私が子どもの頃に父から聞いた話を紹介したいと思います。

明るく楽しい話ではありませんが、父親から話(昔語りのようなきちんとしたものではありませんがーきつねに化かされた話、きつね火、宝が埋まっている場所、火の玉などなどー)を聞いた時の楽しさも一緒にお伝えできればと思います。

私の実家は今三春町にありますが、生まれは相馬市。
その後入園まで小高町(現在は南相馬市内)、その後三春町と引っ越しました。

父が相馬市で仕事をしていた頃に、地元の人から聞いたという不思議なお話です

場所は、福島県相馬郡の新地町(津波の被害が大きく、震災後よく耳にされた地名ではないでしょうか)。
宮城県との県境の海に面した町で、今回の震災で津波により大きな被害が出ました。
幼い頃に聞いた話の不思議さと一緒になって、この地名は忘れることはありませんでした。

丁度県境のあたりの山を歩いていた3人の男の人が、宮城県の方向からやってくる猿を見つけました。

昔の話といっても3人の男の人は県の職員だったか、なんか公務員のような、とにかくそのような職業についていたと言っていたので、いつの頃か分からないほどの昔の話ではないようです。

その3人は、その猿が両手を胸の前に合わせて合掌し命乞いをするようにしていたにもかかわらず、鉄砲で撃って食べてしまいました。
しかしその猿のおなかの中には赤ちゃんがいました。

その数日後、ひとりが踏切事故で亡くなり、またひとりは病気で、最後の一人も何だったかは忘れてしまいましたが急死したそうです。

「だから4つ足じゃない動物(にわとりも四足ではありませんが)を食べないほうがいいんだと。」というのが話の結末でした。

残酷な話も含まれていますが、私が子どもの頃(小学校中学年の頃)聞いた時は、その残酷さよりも最後の一言とその不思議さがとても印象に残っています。

「新地町」と聞くたびに、この話を思い出します。
新地町もたくさんの方が亡くなりました。

その人たちの供養になりはしないかもせれませんが、この話をたくさんの人に聞いていただき、この地名と共に、震災で大きな被害があったことを忘れないで欲しいと願っています。